眩しさと切なさとおじいさんと
父がアルツハイマーに患って3年ほどになる。今年で70歳になったところ、体はまだまだ元気なのでそのぶん大変なことも多い。通所しているデイケアで2度ほど人に手を上げたとのことで、「このままでは預かれません」との連絡をもらい、急遽、病院の診察を受けて、数ヶ月ほど入院することになった。
「最近のお父さんは、好奇心いっぱいでキラキラした子どもみたい」と母が言っていた。事実、病院に付き添った時も見るもの全てが新鮮でたまらない様子で、CT室では機械をいろんな角度から触ってみたり、床の模様に驚いて笑ったり。待合室では少しも座っていられず敷地内をぐるぐる散歩した。
父への対応は、1歳9ヶ月の娘と接する時と同じようにするとだいたいがうまくいった。好奇心いっぱいのトライ&エラーに、本人の気が済むまで付き合う。意味が分からない話しかけにも、さも通じているかのように相づちを打つ。とにかくこちらも楽しそうにしていると、父も比較的穏やかだった。
父と娘がやりたがること/できることは、現在、とてもよく似ている。認知症を患っていた亡き祖父と同様、3人の動きは“命そのもの”の輝きを見ているようで眩しい。
ただそれは同時にとても切ないことだ。娘はこの先成長する。けれども父には成長がない。待っているのは衰退のみで、脳の萎縮が進めば身体機能にも影響が出てくるらしい。アルツハイマーの場合は攻撃性も一時でしばらくすれば無くなると先生に言われたけれど、それは好奇心でキラキラした父にも会えなくなることも意味している。
人生のある点において、今、クロスしている父と娘。自分が“おじいさん”になったことを理解できないままの父と、この先、娘がなにかゆるゆると意思を交換できるものがあればと思う。父は楽器全般が好きで、ギター、フルート、ピアノなど、素人芸でなんでも演奏した。それは病気が始まってからの父の支えでもあり、家族がほっとできる時間でもあった。娘が産まれたばかりの頃も機嫌が良いとよくオカリナを吹いてくれたが、その甲斐あってか今のところ楽器&踊り好き。父が退院してまた演奏してくれる日を楽しみに、娘と今日も踊っている。
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