2016.11.29

鞆の津ミュージアム「Re:解体新書」

2012年5月に広島県福山市鞆の浦に開館した「鞆の津ミュージアム」。最初に知ったのは流れてきたtweetの情報だったか、「こんな美術館があるなんて!」と驚いた。
アール・ブリュットの美術館と銘打ち、障がいのある人、ヤンキー、老人、死刑囚などを始めとする、これまで芸術の範疇としてあまり触れられることがなかった人々に焦点を当てた企画展を開催しているという。しかもこれまで一定の方向からのみ曖昧に語られていたようなことにまで切り込んでいて、HPを見ているとタイトルもテキストも良い意味でとても攻めているのだ。
 
これは気になってしょうがない。行きたい、行くしかないと思いつつも、いかんせんその存在を知ったのが子が産まれる直前だったため、これまでは過去の企画展をまとめた書籍「障害(仮)」、「シルバーアート」「ヤンキー人類学」を読んで期待を膨らませつつ、満を持して先週末、尾道を経由して「鞆の津ミュージアム」へ、初訪問を果たしました。
 
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現在、開催中の企画展は「Re:解体新書」
杉田玄白の翻訳書『解体新書』になぞらえて、「からだ」に焦点を当て、その多様なあり方にまつわる作品が展示されている。出展者は全部で11名で、筋肉画家、家紋研究者、元編集者、統合失調症とつきあいながら制作を続ける人、アーティスト、ドラァグクイーン、専業主婦などバラエティに富む。こうした「からだ」という誰にとっても普遍的なテーマをひもときながら、美術の外にあるものと中にあるものをないまぜにしていくキュレーションの卓抜さが、見る者の既成概念をがんがんと揺さぶってくる。
 
前述の「アール・ブリュット」とは、フランスの画家、ジャン・デュビュッフェが提唱したもので、その訳は「生の芸術」。正規の美術教育を受けていない人が自発的に生み出した作品を指している。私は若い頃からデュビュッフェの絵画が好きで、スイスのローザンヌにあるアール・ブリュット美術館も訪ねたことがある。ただ彼が提唱するように「教育を受けていない」ことが大事だと思っているのではなくて、そこはどちらでもよくて、個人の内部にあるものが境界ギリギリのところで裂けて爆発してしまったような、「見る/見られる」の関係性を超えたところにある作品に強く惹かれる。手描き地図を半世紀描き続けた増田善之助さんが好きなのも、空想地図が好きなのも、こうしたとめどない情熱が溢れ返っているところに理由のひとつがある。
 
今回の展示もそうした惹きつけられる作品ばかりで、なかには個人的に長く見続けることができない強烈なものもあった。まだ会期も長いので紹介はひとつだけ。
渡辺航一郎さんの作品は城や櫓といった構造物が面的に連鎖していく緻密なもの。彼は「家紋研究者」を名乗っており、絵をよく見るといたるところに家紋が登場する。加えて、現実にあるもの(例えば他の作品では、宮島の鳥居とか、高島屋の看板などが描かれている)と空想が混在する世界が描れている。渡辺さんの脳内と実空間の境界が表出した絵画群は見ているだけで吸い込まれていきそうだが、これは下書きなしで描かれていると伺い、さらに驚く。
 
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ちなみに一緒に行った3歳の子どもは、サエボーグさんの作品「HISSS」がいちばん好きとのこと。今後の企画展も楽しみでならない。また、絶対に行く!
 

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2015.06.23

ピロリ菌との蜜月

昨年末にピロリ菌を除去した。

きっかけは健康診断で引っかかったことから。専門医を紹介され、そこでこれまで私内に君臨する「胃の王様」にどれほど仕えてきたかを話しました。

そう、私のここ15年はずっと胃への配慮と共にあった。1ヶ月に2度ほど、胃が心臓のようにドクドクと脈打ち始め、じわじわと痛みがやってくる。胃の中身を消化するまでの4時間ほどは痛みが続き、薬も効かない。新たに食べ物を口に入れたらその分痛みは長引く──。

これが辛くて、初めの数年は胃腸科にせっせと通い、胃カメラを飲むも「慢性胃腸炎」という病名が下されるのみで有効な対処法も見つからなかった。怪しげな漢方薬にも手を出したけれど、気休めにしかならなかった。

けれども人は慣れるもの。月に数回レベルなこともあり、「胃の王様」に従ってやり過ごすようになっていく。痛くなったら食べ物ストップ、翌日はびくびくしながらあっさりしたものからスタート。そうして「食べたいものを食べる」ことを止め、「胃に優しそうなものを食べる」こと10数年、昨年まで過ごしてきた。

と、前置きが長くなったのですが……、そうです。ピロリ菌除去によって胃痛がなくなったのです!全くもって!

私の鬱屈とした「胃の王様」話を聞いた医者は、「ピロリ菌の可能性が高いですね。保険適用になったことだし、ここは一発、やっつけちゃいましょう!」と軽やかに言ってのけた。胃カメラを飲み、大量の抗生物質も一週間飲んだ。今年の2月に呼気検査をし、軽やかな医者からも「やっつけましたよ!」との朗報をいただいた。

除去から半年、今ではこれまでの胃痛の感覚を正確に思い出せないほど。これはたいへん幸せな日々です。ええ昼にカレーだって食べられます。ただ治らないのは「食べたいもの」への欲求が欠如したままなこと。ピロリ菌との蜜月が長かったせいか、無意識に食への欲求を避ける癖がなかなか抜けないままなのです。

個人的な経験談を書きたい気持ちが溢れ長くなりましたが、結局何が言いたいのかというと、ピロリ菌除去、胃に悩む方にたいへんお薦めです!

 

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2014.09.23

眩しさと切なさとおじいさんと

父がアルツハイマーに患って3年ほどになる。今年で70歳になったところ、体はまだまだ元気なのでそのぶん大変なことも多い。通所しているデイケアで2度ほど人に手を上げたとのことで、「このままでは預かれません」との連絡をもらい、急遽、病院の診察を受けて、数ヶ月ほど入院することになった。

「最近のお父さんは、好奇心いっぱいでキラキラした子どもみたい」と母が言っていた。事実、病院に付き添った時も見るもの全てが新鮮でたまらない様子で、CT室では機械をいろんな角度から触ってみたり、床の模様に驚いて笑ったり。待合室では少しも座っていられず敷地内をぐるぐる散歩した。
 
父への対応は、1歳9ヶ月の娘と接する時と同じようにするとだいたいがうまくいった。好奇心いっぱいのトライ&エラーに、本人の気が済むまで付き合う。意味が分からない話しかけにも、さも通じているかのように相づちを打つ。とにかくこちらも楽しそうにしていると、父も比較的穏やかだった。
 
父と娘がやりたがること/できることは、現在、とてもよく似ている。認知症を患っていた亡き祖父と同様、3人の動きは“命そのもの”の輝きを見ているようで眩しい。
 
ただそれは同時にとても切ないことだ。娘はこの先成長する。けれども父には成長がない。待っているのは衰退のみで、脳の萎縮が進めば身体機能にも影響が出てくるらしい。アルツハイマーの場合は攻撃性も一時でしばらくすれば無くなると先生に言われたけれど、それは好奇心でキラキラした父にも会えなくなることも意味している。
 
人生のある点において、今、クロスしている父と娘。自分が“おじいさん”になったことを理解できないままの父と、この先、娘がなにかゆるゆると意思を交換できるものがあればと思う。父は楽器全般が好きで、ギター、フルート、ピアノなど、素人芸でなんでも演奏した。それは病気が始まってからの父の支えでもあり、家族がほっとできる時間でもあった。娘が産まれたばかりの頃も機嫌が良いとよくオカリナを吹いてくれたが、その甲斐あってか今のところ楽器&踊り好き。父が退院してまた演奏してくれる日を楽しみに、娘と今日も踊っている。

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2014.06.22

暗号は「チェ」

娘、1歳半。ここのところ1日1つのレベルで爆発的に語彙が増えていく。これまでに出てきた言葉を分類しつつ、メモ代わりに書き残しておこうと思います。

【1音パターン】
ゴ → リンゴ
チ → イチゴ
パ → パン
イ → 海苔
マ → 熊
ギ → ウサギ
ボ → サクランボ、帽子、ボタン
ミ → ミィ(ムーミンの登場人物)
ジョ → 象
チェ → 時計
 
時計がチェなのはどうしてなのか不明だけど、たいていは語尾の一つの音に省略している様子。ただ、大好きな「リンゴ」と「イチゴ」がかぶっているので、そこは「イチゴ」が譲って「チ」となった様子。お腹がすくたびにキッチン前で「ゴ」「チ」「ゴ」「チ」(たまに「パ」)と連発しているので、この言い分けは本人に取っては死活問題レベルなのです。
 
【だいたい合ってる&繰り返しパターン】
クック → 靴
ハッパ → 葉
ブシ → 虫全般
マメ → 干しぶどう、とうもろこし、石
チャチャ → お茶
アッチョ → 納豆
ナーナ → バナナ
ジージャ → 自転車、電車
ニュウニュウ → 牛乳
 
1回言えば大丈夫なのに、なぜか繰り返す。そして部分的に伸ばしてみたり「ッ」を挟んだりする。誰も教えてないのにそう言い出すのが不思議でしょうがない。
 
【鳴き声パターン】
ニャーニャ → 猫
ワンワ → 犬、絵を描くこと
チュー → ネズミ
ブーブー → 豚
 
これは実際に声を聞いているわけではないから、絵本によるものだと思う。そういえば、絵本にはいろんな動物が登場するけれど、良く出てくるメンバーのなかで「ネズミ」は、現代では最も実物を見せてあげにくい動物になってしまった。家にも動物園にもいないもんね。
 
【人の名前】
アンパン/アンパンチ/アンマン → アンパンマン
バーバッパ → バーバパパ
ムーニンパパ → ムーミン
チャプチィ → 地下鉄博物館にいた銀座線キャラクター「ぎんちゃん」
チョチョ → 父
シャーシャン → 母
ジジ  → 祖父
ババ  → 祖母
 
ムーミンはバーバパパの影響でこっちにも「パパ」がくっついてしまったか。
まだまだあったと思うけれど思い出した言葉を列挙してみました。こちらが正確に発音しているのも理解しているので、本人の判断できるだけ言いやすいよう言い換えているのだと思うと、1歳児なんかすごいな。
 
この間、妹が遊びにきて、私と娘の会話を聞いて「まるで暗号みたい」と言っていた。そう、毎日暗号解読ざんまいです。
こっちがぼーっとしてたり、新しい言葉を投げかけられたりすると、うまく解読できない。そうなると娘はわりあい醒めた目でじーっと見つめてくる。そこで弛緩気味の頭をフル回転させ、注意ぶかく発言に耳を傾ける日々です。

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2014.01.20

トッパツ

「あれ、トッパツまだ?」
「そろそろトッパツやる時期だね」
「熱が出たなら4日後にトッパツかどうか分かるよ」

ここでいう「トッパツ」とは、漢字で書くと「突発」であり「突発性発疹」の略称である。乳幼児を持つ親たちの間ではそう呼ばれているポピュラーな病気なのだけれど、トッパツだなんて略になぜ落ち着いたのか不思議。だってトッパツって何にも言ってないよー。

その突発性発疹はどういう症状かというと、39度ほどの熱を3日ほどキープし、解熱した後に発疹が出るという一通りの手順を踏むもので、熱が出ている時には風邪かどっちかの判定をするのは難しく、発疹が出て初めて「トッパツです!」と診断されるという、なんともギャンブルな病気なのです。

そしてまたひとつ特徴的なのは、生後6~12ヶ月頃に大半の子が罹る病気というところ。かくしてうちの娘も12ヶ月にして罹患しました。
ちょうどその前の週末に、夫婦でノロ胃腸炎をリレー。初日、私が吐き、下し、発熱し、だるさに耐えながら動き回る娘の世話にはげしく疲弊。次の日、夫が吐き、下し、発熱し、だるさに耐えながら実家に子どもを連れて行きはげしく疲弊。ようやく回復し「病気の時の子どもの相手って……作り笑いももう出ないよね」と二人しておかゆをすすった次の夜中に娘が39度!
こんなノロウィルスまみれの家にいてノロじゃないわけないよねー、と病院に連れて行ったら、なぜかこのタイミングで「トッパツかもしれないですね」との診断。

どうしてノロのような強いウィルスをかいくぐって、トッパツのような微妙なウィルス(感染力がとても低い)をキャッチしたんだろうか?この半年、噂のトッパツにいつでも罹る心づもりでいたのに、じらした挙げ句なぜ今?などと疑問が頭を渦巻く中、シラスに入っているイカのような確率でトッパツに罹った娘。

その後、教科書通りにきちんと3日高熱をキープした後、背中とお腹に真っ赤なボツボツが出現、まごうことなきトッパツキャリアとなりました。

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2013.09.28

エブリタイム今生の別れ

「もしも目覚めたときに、全く見たことがない景色&知らない人に囲まれていたら」

そりゃ驚いて現実をうたがう。必死に寝て、慣れ親しんだ世界に戻ろうとするだろう。けれども再び目覚めても見たことがない景色に知らない人!また寝て目覚めても見たことがない景色に知らない人!!さらにまた寝て目覚めても見たとがない景色に知らない人!!!
もうそんなに眠れやしない。これは恐怖に打ち震えながら泣き続けるしかないのか……。

こんな映画の出だしがありそうだけど、それが9カ月になる娘の一時保育の体験(談)。なんとかわいそうな。3カ月頃から仕事の都合でちょこちょこ一時保育に預けているけれど、8カ月頃から預けた際によく泣くようになった。それは「分離不安」というもので、

※「分離不安」とは、
乳児が親に情緒的に執着するようになったときに起こる。物の永続性の感覚がないため(不完全な記憶および時間の感覚の欠如)、小児は親が離れると二度と戻らないとの恐れを抱くのである。小児の記憶の感覚が発達し、親が去っても親のイメージを記憶し、前には親が戻ってきたと思い出すようになると分離不安は治まる。

まるで今生の別れかのように涙&鼻水を垂らしながら激しく泣き続ける訳です。ひところは姿が見えなくなるだけ、ちょこっとトイレに行くだけでももうギャン泣き。そして私が戻ると必死にすがりついてきてぴたっと泣き止むのだから、これまでの人生でこんなに人に好かれたのは初めてで「え、こんな私でいいの?」と狼狽える日々。こうして親の自覚も親ばか的情愛もじわじわと醸成されていくのだなあ。

この分離不安が起こる前までは、自分と親の境目がない状態だったらしく、それもそれで想像するだに不思議な世界。私がスーパー銭湯に行こうと飲み会に行こうと、彼女はのんきに家で一体感を覚えていたということ。その頃はなんだか「動じない子」だな、と勘違いしていたのですが、気付いてなかっただけだった!今は発達段階に順当に、すっかり繊細な分離不安児へと移行しています。

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2013.05.09

2つある

「母乳を練り込んだパスタを客に勧めて、やんわり残される」という夢を見た。

現在、4ヶ月乳児を育てるなか思っていたよりも大変だったのが授乳。母体も生き物であるだけに「産まれました!はい、毎回100mlずつの乳が出ます」とはシステマチックにいかなくて、出なくても出過ぎてもトラブルが頻発。私と娘も需要と供給のバランスが整わず、これまで様々な壁にぶちあたってきた。

現在は日に9回各15分ほど、これまで4ヶ月で約270時間、修行僧のように淡々と黙々と遂行されてきた授乳。いきおい頭のなかは禅問答のようになり、昨日は「なぜ胸は2つあるんだろう」と考えていた。冒頭の夢も夜間授乳の間に見たもので、客は娘だろうか、トラブル続きで弱腰の自分が投影されているようであります。

その娘も3ヶ月時のグーから進歩を遂げ、右手と左手を握り合わせるようになった。そうすることで「どうやら手は2つあるらしい」と発見したようで、今日も満面の笑みを浮かべて揉み手をしています。そう、手もなんで2つあるんでしょうねえ。

Chi
 
 

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2013.04.04

神秘の「グー」

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「人間の網膜は見る物を平面としてしか捉えられないけれど、経験によって空間を認知している」ようなことを、いつだか何かの本で読んだ。そこで腑に落ちたのが、私は壁を観察するときの目線が網膜レベルになっていたこと。頭をからっぽにして目に忠実に歩いていると、街がのっぺりとした平面になり、気になる壁がぐんとクローズアップされてくる。それが面白くてたまらないことを。
 
なぜ今それを思い出したかというと、三ヶ月に入った娘の行動から。寝転んでいる娘は手を「グー」のかたちに握り、天に突き出すように持ち上げ、しげしげと眺める。そして今度はその「グー」を口のなかにまるっと放り込み、盛大にしゃぶり始める。この一連の行動が、空間認知の第一歩だと知ったからなのです。
 
新生児期の赤ちゃんは自分の手をそれと認識しておらず、手は制御の効かない不思議な動きをしている(娘の場合は、歌舞伎さながら見栄を切ったりしなをつくったり、たいそう優雅でした)。一ヶ月が過ぎる頃からだんだんと視力が上がり周囲をきょろきょろし始め、二、三ヶ月頃には自分の拳「グー」を眺めるようになる。
 
そしてここからが面白い!その拳を口に入れることによって、自分の目で見た平面の「グー」が立体であることを認識していくという。よーく見ていると「グー」を口に入れた後、また天に突き出し今度は「グー」の角度を微調整していろんな方向から眺めているのです。
 
あんな小さな拳にそんな神秘がつまっているのかと思うだけで、乳児観察も俄然エキサイティングになってくる。娘は拳のみならずあらゆる物体をそのままの形で捉え、興味深そうに目を輝かせる。本人にしてみれば意味をなさない物体が次々と現れて、毎日がおそろしいほどに新鮮なのだろうなあと。そこで私も壁だけではなく、意識的にではあるけれど、娘の見る世界をすこしでも共有したいと試みる日々であります。
 

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2013.01.07

あけましておめでとうございます&産まれました

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あけましておめでとうございます。
昨年12月22日に2932gの女の子が産まれました。
 
写真は生後1日目、外界に出たてほやほやの頭頂部(夫撮影)。今はもう膨らんでいないお腹に、この頭を下にしてぎゅっと丸まっていたのかと思うと、未だに不思議でならない。
 
それにしても赤ちゃんにとって、この外界に出てくることは受難だよなぁと思う。羊水のなかはあったかくて、おしっこもし放題、栄養も自動補給だったのに、外界では泣いたりウンチしたり忙しいし、巨大な人間が入れ替わり立ち替わり覗きに来て落ち着かない、加えてこの寒さ!人間の赤ちゃんは他の動物に比べてかなり未熟な状態で産まれてくるわけだから、本人だって相当しんどいはず。
 
外界のよいところを考えてみたけれどあんまり思いつかなかったので「そんなに悪くないよ、外界」と語りかけつつ、お腹のなかにいた頃に歌っていた「スネ夫が自慢するときの曲」を口ずさんでいます。

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2012.12.18

壁撮りおさめ3

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すこし子宮の話を。
今の私の子宮は通常の約1000倍ほどのサイズとなっているそう。普段はなりを潜めてひっそりとしている子宮がこんなにも威風堂々と大きくなるなんて、生命体の不思議さに改めてびっくりしてしまう。子宮は他の器官をを押しのけてぐいぐいと大きくなり、ついにはお腹の皮をも引き延ばしていく。自分の体がムーミン形に変化していく様をこの十月十日、興味津々で見つめ続けてきた。
自分が巨大な「いれもの」になっていくという感覚はなんとも形容しがたいもので、私はよく言われる「母子一体感」よりも「別個体感」を感じていたように思う。特に胎動が激しくなるにつれ別の強い意志みたいなものを感じることが多かった。実際、未だにこのムーミン腹に人間の形をした赤ちゃんが入っていることが信じられず、出てきたらウサギだったりオオサンショウオだったりしてもおかしくないんじゃないかってくらい実感が湧かない、のです。
 
※写真、上は道端に立つ掲示板の裏側、水色のビニール塗膜が亀裂をつくりかけている。下はタコ型すべり台の剥がれ壁。

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